旅行・地域

京都散策 四条大宮~京都駅 5 西本願寺

島原の大門から東へ進むと西本願寺であろう、長い塀が見えてくる。陽もだいぶ傾いてきた。西本願寺の西側が接する、大宮通にでる。右手(南)には島原口というバスの停留所が見える。門があるのでそこからは入れないかと行ってみると、門は閉まっている。やはり東側の正門に回らないといけないかと来た道を戻り花屋町通を東に進む。宗務総合庁舎の門は開いているがせっかくなので、京都の南北の大通りである堀川通まで進み回り込む。
残念なことに現在御影堂は平成の大修理中である。2008年まで行われるそうである。大修理が終わったら、今度は西本願寺をゆっくり見に来ることにして、今日は阿弥陀堂の見学だけにする。それでもかなり巨大な建築物で、たくさんの信者が座れる広大な座敷があり、宗務はよくわからないが、夕方のお勤めが始ったようである。今でこそ高層建築があふれる世の中だが、江戸期の人々にとっては建ちつくす伽藍に畏怖と敬虔な面持ちでこれらの建築物を見ていた事であろう。かなり陽が紅くなってきたので、ゆっくり見たい気持ちを抑えて、京都駅に向かうことにする。新撰組の好きな方はこのまま堀川通を南にくだって、リーガロイヤルホテルにある新撰組不動堂屯所跡碑をみて塩小路通から京都駅に向うと壬生、西本願寺、不動堂と歴代の新撰組の屯所跡をめぐることができる。
私は西本願寺の正面通が気になるのでそこから京都駅に行くことにする。
趣のある仏具店等が並ぶ通りを進むと今度は東本願寺の塀が見えてくる。東本願寺も次回のお楽しみだなと南に折れ新町通を南へ進む。まだ古い民家がそのまま使われている家や事務所も多くさすがに京都だなと感嘆しつつ七条通に。伊勢丹でもぶらっと見て帰ることにする。

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京都散策 四条大宮~京都駅3 島原

島原へ向って坊城通を南へ下ると途中で道が途切れる。右に折れると公園がある。ここはもう観光地ではない。普通にくつろいでいる方々が居られる。この公園の東側は千本通に接している。平安時代には朱雀大通であった通りも今では細い裏通りという感じ。京都の中心が鴨川の方はるか昔には王朝都市の中心道路があったんだなあと、思いに吹けながらこの道を南に下ると五条通に出る。前方右手にはJR丹波口の駅も見える。このあと千本通はJR線の横を添うように南に続く。が坊城通にこだわってきたので五条通を少し東に進み、そこからまた坊城通に入る。目印は郵便局の坊城局がある。この通りに、新撰組記念館なる場所もある。京都卸売市場の裏手になるので、左手には塀が延々と続く。人どおりが少ない裏通りなので少し不安になる。千本通りをそのまま南に下っていた方が良かったか。長い塀が切れてしばらく歩くと、もう島原界隈に入っていたらしい、まず右手に輪違屋あらわれる。置屋の遺構を残した、この建物は現在も使用されているらしく見学ができないのが残念。この先の十字路を左に行けば大門が、右に行けば角屋である。先に島原の大門の方に行き、ここから角屋に向かうことにする。当時の人々や幕末の志士たちもここから島原界隈に入っていったのであろう。今きた道を戻り、通りの名でいえば花屋町通になるんだろうか、輪違屋からきた通りを越えそのまま進む。雰囲気のある塀が見えてくる。四つ辻に「長州藩士 久坂玄瑞の密議の角屋」の石標がある。ここを左に折れれば角屋がある。久坂玄瑞を始め多くの志士や新撰組らが訪れた角屋。幕末史で人気者の坂本竜馬や桂小五郎なども訪れたに違いない。当時も遺構も見学できるということで胸が高鳴る。

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京都散策 四条大宮~京都駅2 壬生寺

200710121211001 壬生屯所跡の八木邸を出て坊城通を少し南にいけばすぐに壬生寺だ。
ここの境内は新撰組の兵法調練場に使われ、剣戟や大砲の音などで、参拝する者が減り寺としては非常に困ったようだが、現在はその新撰組が駐留していたということで、京都の主たる観光地や繁華街から離れた寺にもかかわらず、平日でも観光客がちらほら見られる。坊城通に面した、つまり寺の東側が正門になり西側に本堂がある。坊城通は細い道路で正門の写真を撮ろうにも、あまり後ろに下がれずなかなか全体をフレームに収めるのに苦労する。正門から見て右手に手前から一夜天神堂、阿弥陀堂、お地蔵さん、左手には喫煙所があり左手奥にむかって鐘楼、千体仏塔という配置。千体仏塔の横に南門がある。阿弥陀堂では新撰組関連のお土産なども販売してお200710121211000_2り、このときも数組の方が新撰組のグッズを吟味されておられた。地下が歴史資料館になっているのだが、時間の都合で未見。その奥に壬生塚がありこれだけ見学する。近藤勇の胸像と隊士のお墓がある。八木邸で暗殺された芹沢鴨、平山五郎らや池田屋騒動で命を落とした隊士らが祀られている。池田屋事件もこの壬生屯所時代であるから、この壬生から隊士たちが祇園方面に出動していったわけである。

200710121209001
さて次は坊城筋をさらに南に下ると、やはり新撰組ともかかわりの深い、花街のあった町島原である。

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京都散策 四条大宮~京都駅1 八木邸(壬生屯所跡) 

壬生の狼と呼ばれた新撰組の屯所が在った八木邸へ行く為に阪急電鉄四条大宮を下車する。地下の駅から地上に出れば東西に四条通、南北に大宮通りが走り、この交点から北西に後院通が出ている。まず大宮通りを西に400メートル程、坊城通を目指して進む。左に折れ坊城通を少し行くと右手にお茶屋さんになっている建物がありその奥に新撰組の隊旗らしきものが掲げてあるので結構すぐわかる。ここまで歩いて15分~20分というところ。左手は同じく屯所とされた旧前川邸がある。案内の方が説明してくれるのだが、八木家はもともと越前朝倉家を祖とするらしい。ドラマなどで見ているとつい町人のイメージが強いが郷士であり、さもなくば壁一枚隔てた部屋に新撰組が起居する状況を受け入れられなかっただろう、などと思ってみたりする。入ってみると天井がかなり低いのは、昔の日本人の身長がそれ程高くなかったということに加え、屋内で刀を振り回せなくしているそうだ。やはりここでの見どころは鴨居に残る刀傷である。足元には当時の八木家の子息の使用されていた勉強机が置かれてある、ここで芹沢鴨が斬殺されたのだなあ、と感慨深い。この惨殺劇のおこる前に芹沢鴨は角屋という料亭で酒を呑んでいたという。角屋のある島原界隈は坊城通を南にいったとだが、聞くとここから歩いて15分程でつくらしい。八木邸を少し南にいけば壬生寺もあるので今日はゆっくり散策を楽しむこととする。

壬生の屯所時代、新撰組創設期のメンバーは十三名。
芹沢鴨、平山五郎、近藤勇、土方歳三、新見錦、平間重助、野口健司、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎。

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八木家
公開時間: 午前9時から午後5時まで(受付は4時30分まで)
見学料:   大人1,000円
住所:    京都市中京区壬生梛ノ宮町24

平成19年10月12日

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